(ぬまづかいづか)
沼津貝塚国指定文化財
(昭和47年10月21日指定)
  稲井の沼津地区、京が森山麓から東西方向に延びた丘陵に位置する大きな貝塚で、明治時代から毛利総七郎、遠藤源七らによって発掘調査され、土器・石器・獣骨・骨角器など大量の遺物が発見された。 
 これらの出土品は毛利コレクションとして広く知られており、特に骨角器は種類・数量ともに豊富でこれが沼津貝塚の大きな特色となっている。

<発掘場所>  <出土品>  



(しゃなさんちょうこくじ)
舎那山長谷寺 住 所:石巻市真野字萱原5
宗 派:曹洞宗
本 尊:十一面観世音菩薩

 嘉応2(1170)年、平泉の藤原秀衡によって建立されたものの、庇護者を失い堂は荒れ果ててしまう。 中世末期になって、鷲の巣館の館主平小三郎らによって堂は修復された。

<不動明像>  <片葉の葦>
<六地蔵石>  <板碑群>



(ほうらいさんきっしょうじ)

蓬菜山吉祥寺

住 所:石巻市高木字寺前50
宗 派:曹洞宗
本 尊:釈迦牟尼仏



 曹洞宗若宮山松林寺があったが、当時の地頭四竈豊前が所有している田畑山林等五百反を寄進し、水沼の龍泉院第四世全勝和尚を迎えて、慶長16(1611)年8月開基し、宝来山吉祥寺と称した。山号は第四風山和尚の代に、蓬莱山と改める。

<吉祥寺イチョウ>



(きこうさんりゅうせんいん)
亀向山龍泉院 住 所:石巻市水沼字天似113
宗 派:曹洞宗
本 尊:薬師如来



水沼の亀山伊勢が、この地にむかし東光山安楽寺という仏刹があったが、戦禍に遭って廃趾となっているのをおしみ、復興させるために 自己の山荘を喜捨して精舎を創建し、更に天似乾済和尚の晋山を請うた。乾済もこれを奇特として快諾し、山号を亀向山龍泉院と称し、 天文4(1535)年、落慶を告げることになる。

<龍泉院のイチョウ>



(ぼうたくさんりゅうどういん)
坊澤山龍洞院 住 所:石巻市大瓜字棚橋168
宗 派:曹洞宗
本 尊:延命地蔵菩薩 

 龍洞院の開山は、大永元(1521)年、文誉和尚(後の勅賜仏照大円禅師)によって建立された。 禅師号を勅賜された僧侶によって開基された寺院の例は、地方においては全く稀なことであった。



(はくたくさんきんぞうじ)
白沢山金蔵寺 住 所:石巻市南境字金沢104
宗 派:曹洞宗、梅渓寺末寺
本 尊:正観世音菩薩



 金沢寺が廃址となった後、これを再興したのは牧山梅渓寺八世伝室宗舒和尚にして、南境村民の帰依に応じて新新たに寺堂を修め、天正10(1582)年、旧山号月花山金沢寺を白沢山金蔵寺と改めて開山した。

<羅漢像>



(いないこじょうあと)
稲井古城跡  石巻地方には多くの中世の館跡が存在する。そのなかでも鷲ノ巣館跡は、規模が大きく、つくりがていねいな館である。
 籠峰山に連なる標高70m程の丘陵にあり、東西に並ぶ三つの平場を中心に空堀、土塁、腰廊から構成される。
 一番西の平場が本丸、中央の平場が二の丸、東端の土塁で囲まれた平場が三の丸と推測される。現在においては、保存状態がよく、貴重な中世城館跡である。

























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